ありがとうの力
良い事とはいえ自分発信の親切をしようにも最初の一歩は勇気がいる。そもそも何をしたら良いかわからない。ならば受けた親切くらいは「やってよかった」としておきたい。
二十代の後半は夏休みには南の島に遊びに行っていた。
ヨーロッパ系植民地のその島にはすっかり移住者が根を張っていた。体験ダイビングのツアーに参加した時、ダイビングスポットの浮島を管理し、中継地からの送迎や私たちが潜っている間に昼食の支度をしてくれるヨーロッパ系スタッフの表情がとても硬かった。バーベキューの具材が公平に行渡るように私たちが並んで進みトレーに焼き魚やソーセージ等を載せてらう形式だったが、配りながら益々不機嫌になっていくようだった。
「この人は日本人が嫌いなのかな」と思うと悲しくなった。
前に並んでいる日本人達が無言で受け取っている中、私の順番が来た時に現地の言葉で「ありがとう」を言ってみた。少し驚いたようだった。後ろに並んでいた友人以降も「ありがとう」が続く。
彼の表情が少し和らいだ。
ツアーのプログラムが終わり、中継地まで送ってくれた彼にスタッフに促されて皆で手を振る。微笑を浮かべた彼がこちらを見て手を振り返してくれた。
今にして思うと、ただでさえ表情の乏しい日本人がバカンスでも無表情でサービスを受けるので「スタッフはロボットだとでも思っているのか」と言いたくなる態度に彼が不満を募らせている事を知っていた他のスタッフが最後位手を振りながら労ってやって少しでも彼の気を和ませて欲しいと願っていたのかも知れない。この日の晩は憂鬱な日本人ツアーの日をそうでもない日に変えられただろうか。
「ありがとう」のワールドワイドな力を感じた思い出。