考察と主観

頭に浮かぶあれやこれやをなんとなしに書き付ける

子供が身体を使って遊ぶということは

ある日、膝に違和感を覚え段々痛みに変わりとうとう階段が辛くなった。接骨院でレントゲンを撮ると「軟骨は充分にあります。膝のお皿が浅いので擦れるようでですね。(膝をグリグリやって)ほら、動いてはいけない方向(横)に動く。これは生まれつきなので治療は出来ません。今までは筋力で押さえられていたものが加齢で筋力が落ちて押さえられなくなってきたんです。」と言われた。

私は運動が得意ではない。見栄っ張りで失敗を見られたくないのでだんだん外で遊ぶ事が減り、落書きしたり本を読んで過ごす小学生になっていた。いよいよ運動が苦手になり、マラソン大会では後ろは見るからにひ弱な子や障害児ばかりになっていた。
さすがにこれはマズイと気が付き中学校に進学と共に運動部に入る。高校でも続け、高校ではスポーツ系のイベントが有る度に「意外とヤル」といった評価により好感度が上がる様になった。
学校を引退して暫く実家暮しの間は社会人のスポーツチームに所属し、やっと身体の動かし方を掴み自分が運動音痴では無いと実感できた。
実家を離れた後も車を所有できず自転車で全速力通勤をしていた間は少なくても足の筋力は維持出来ていたように思う。やっと自分の車を手に入れ暫く後に膝に衰えが出たのだ。

もう十何年も前、友人に子供が産まれたので友人グループとお祝いを用意して赤ちゃんを見せてもらいに言った。
新米ママは「赤ちゃんがこんなにキテレツな動きをするとは思わなかった」と言った。
暫く観察していると、成る程、大人になったらストレッチでもやらないようなポーズの連続だった。さらに観察していると自分の可動域やどこまで力が出るか遊びながら確認している様に見えた。

骨が曲がる病の子供の治療でも切り繋いだ骨を強くくっつける為に歩行訓練等を行うと聞く。子供の頃もっと体を動かす遊びをしていたら、私の膝も(もしかすると他の間接も)もっと深く噛み合って暮れたのかも知れないと思う。

子供が身体を使って遊ぶということは身体の発達特に一生に関わる骨の発達に重要と考察する。更には、こう動けばああなる、自分が投げた物がどのくらい飛んでどう跳ね返り、当たった物がどう反応するといった理も身をもって感じる重要な時間だろうと思う。