考察と主観

頭に浮かぶあれやこれやをなんとなしに書き付ける

見失った自分を見つける方法

 子供のころから変わっていると言われていた私は先に耳に入ってくる周りの意見に同調するように自分に暗示をかけていたように思う。アイドルやブランドなど「いいね~」と口に出しつつどこがいいのか探り、結局、良さが分からないまま良い物としてインプットしようとしていた。父の常識から外れればけなされ、同級生と同調できなければ奇異の目で見られる事に警戒していた。 

  

 全員が同じというのは力を合わせやすくて率いるのは楽だろう。しかし、長い歴史の中で気候が変わった時に生き残るには突然変異だって必要だったはずだ。今、世の中も随分変わってきている、今までのやり方では通用しない事も増えている。新しいやり方が必要な時が来る。いきなり最良が見つかる事は稀なので、今のやり方が有効なうちに新しいやり方を模索する事を許容するように、少数派が自分のやり方を模索する事を許容してはもらえないだろうか。ーここでアンモナイト種の終盤に奇形が沢山生まれた事を思い出す。人間が生産性のない所に多様性を進み始めているのはこの終わりに向けた始まりかも知れない。しかし、ここで生産性を重視してしまうと以前考察したいじめ迫害に繋がってしまうので、今の生き方を大切にしたいー

 

 さて、大勢に合わせるため自分の表面を良さそうに上塗りしていた時期が続き、自分はカラッポだと思っていた頃が有る。学校から渡された作文用紙には題と名前と一言しか入れられなかった。このブログの文章量を自分で驚くほどだ。ー当時の学校の課題は大人が理想の子供を構築するプログラムで子供たちは興味ない課題が多かったのも原因だと思うが、先生が大人が褒めてくれそうな事を書きたかったのだと思うーあちこちに飛んでしまうので整理できるようになる必要も有りそうだが、書きながら考える過程で浮かんでいる言葉なので私には関係しているように見えて中々精査が難しい。マインドマップの様に思考が枝分かれしている感じで、選択式の小説の様になってしまい読みづらく申し訳ない。

 

 この「言葉にする(アウトプットする)」がモヤモヤから芯を掴み出すようでとても必要な作業になっている。

 何かに感情が動く→どちらに動いたか?→どんな点をどんな風に感じたか?→私はどうしてその方向に感情が動いたかについてどの言葉を当てはめれば語弊なく伝えられるだろうかと考えることで掘り下げていくことができ、どんな事柄に重きを置いているのか、望む事柄は何か…塗り込められてカラッポだと錯覚するほどに見失った自分を掘り起こす作業だと思う。