考察と主観

頭に浮かぶあれやこれやをなんとなしに書き付ける

泥団子だって磨くと艶が出て宝物になる

 わざとルールから外れたことをした動画を上げる人が増えた。

「そんなに暇を持て余してスリルを求めているなら徴兵制にでもなってしまえばいい」などと自分でも脈絡が飛び越えた思考が浮かんだ。注目を浴びたいかまってちゃんなのはこんなところで持論を繰り広げている私も変わらないと思うので気持ちはわからないでもないが、何故、ルールから外れたことをするのか。

 

 自己を守る工夫やら警戒から解放された平和ボケと言われるまでの安全の中で暇を持て余してスリルを求めるとは我儘な話。それも安全なスリル…オバハンの中にある辞書では矛盾していて可笑しい。

 

 幼いころからTVゲームをしている子供たちが「死んでも生き返ると思っている」とニュースになった事が有った。テレビが普及してから編集が当たり前と思われるようになるまでが中心の世代も「テレビで見たから本当だ」と言っていた。触り心地を再現(触覚)とか、香料(嗅覚)、調味料(味覚)他の感覚もかなり人工物で安定している。聴覚は現代人の日常生活においては本物をシャットアウトに近い。かなりの割合で作り物の中にいる。スリルの前にリアルに興奮することが減っているので、ちょっとした危険を体験した後の高揚感を求めエスカレートしていく。

 

 さて、求めるのが高揚感であれば何も危険を顧みずルールを破る必要がない。目の前の事に精一杯取り組めば良い。雑用の様に見える仕事だってルールを守った中で精度を上げつつスピードを上げる等のゲーム性を持たせて出来栄えを振り返りつつやると意外と楽しめる。周りと連携して行うと今一人で生きている気分になっていても一人でないことに気が付ける。達成感は高揚感に繋がり、失敗するかもしれないとヒヤヒヤするのがスリル、失敗の痛みがリアルだ。

 

 発展途上国の子供たちの方が笑顔が多いのはこうして毎日役割を果たしてリアルに活きているから笑う時に笑えるのでは無かろうか。

 

 TVなどで良い事で取り上げられ脚光を浴びている人たちの多くは本番前に一生懸命練習しているし、一生懸命だから輝いて見える。一生懸命な人には協力したくなるものだ。そして折角チャンスを貰っても実力が無ければ次に繋げない。本番まで一生懸命磨いて宝物を増やしたい。