考察と主観

頭に浮かぶあれやこれやをなんとなしに書き付ける

疑心暗鬼

 先日、そろそろ25年にもなろうかという付き合いになる仲間の一人が出産した。地元に残った仲間が中心になってお祝いの取りまとめをしている。殆どはLINEグループだが私はLINEが繋がっていない遠方の友人との連絡係を仰せつかった。Facebookメッセンジャーでのやり取りだが、ログイン状況から伝わっていると推測して10日しても反応がない事を雑な表現で放り込んでしまい、静まり返った。弁明文として「先方が対応できない状況であればそうっとしておくのはどうか」と提案しなおしたつもりだが、返事がない屍の中にいるようだ。LINEをしていないのでメールで連絡を取り合っていた一番親しくさせてもらっている仲間からの返信も途絶えた。まるで総スカンだ。

 こんな事をする人たちでは無かったのでかなり動揺した。10日経ったところで「ほら、寂しいでしょう」と説教が来そうと思ったがそれでは勘違いだ。

 だんだんと怒りが込み上げてきた。誤解で無かったとしても、少数派の意見の意見を無言で押し潰すつもりなのか。腹を割って話せる仲間と思っていたのに残念だ。何よりメールでやり取りしていた仲間は伝え聞いただけで加担したのか。これまで一番やり取りが多かったのだから私に直接確認してくれても良さそうなものなのにと思うと、期待値が高かった分だけ許せない気持ちになった。

 3日経つと今までに無い状況にワクワクしてきた。不謹慎にも笑みが零れてくる。物理的な距離が離れているおかげで生活に支障は無い。総スカンって、部外者から見るといじめではないか。全員子育て中の母親だというのに、数人は教職にもついていて更には養護教諭までいる。子供たちが「あの子おかしなこと言ってるから皆で無視しよう」に対して「大いに懲らしめてやりなさい」とでも言うつもりか。誤解から生じた総スカンに耐え兼ねて保健室に逃げ込んだところを「貴方の行いを思い返して反省なさい」では不登校しか道が残ってはいないことになるではないか。想像力を駆使して毒づく。次またこんな目に合うかと思うと皆様の顔色を伺いながら数時間大人しくしているためだけに片道2時間以上かけて会いに行く気にはならない。誤解が解けてもこの先の交流は難しそうだ。

 はたと、そんな人間性だと思われていたのか情けないと言う感情が浮かんでくる。誰もがそんな奴だと納得して本当にそう思っていると疑わないのかと。それならそれで「あぁ、私はそんな奴ですよ」とやさぐれたら非行に走んるんだな。

 不思議なことに、こんな状況でもこの中の誰かが目の前で転びそうになったら手を差し出すのだろうと思った。一緒に転ぶことになっても。「それほどまでにどうでもよくなったのか?私はそんなに冷たい人間なのか?」と混乱が深まった。 

 更に腹を割って話すについて考えた。説教のつもりなら勘違いだが私の間違いを正すためなので私を思っての事になるのか。やり方の指定をする方が我儘なのか。でも、人間性を疑われていることに変わりはないのか。

 もう一回はたとした。メールの友人から直接確認が来ないことに腹を立てたが私から確認をしていないではないか。甘えてた。浮かない顔をし続ける私に主人も「俺ならば電話して、何をどうやらかしたか聞く」とアドバイスをくれる。

 

 サーバやプログラムにも絶対は無いので電話で確認することにした。どうやら返信がどこかで行方不明になってしまようだ。では、LINEグループの方はどうか、子供の手の離れ具合とやはり職業柄を頼って養護教諭を頼ることにする。どうやら、真面目に作りすぎた弁明文が長くて硬かったのが難解に感じさせたこと、複数であることから「誰かが返すでしょう」と言った放置につながったようだ。養護教諭の友人に「時々人とのずれを感じて不安になる。あなたはそうかも知れないけど、私たちはこうだよをもらえると助かる」とお願いしたばかりの私からすると、短く的確な文章の修業が必要そうだ。(すでにここまででこの記事が約1500文字超え…orz)

 

 とりあえず 、疑い続けずに相手の考えを聞く事で長い付き合いの友人たちを失わずに済んだ。