考察と主観

頭に浮かぶあれやこれやをなんとなしに書き付ける

御裾分けをしたい

文体が小難しくて恐縮だが、私は御大層な人間ではない。

 

 このブログに載せる文書を考えながら、自分自身はどういう人間になるのが好ましいか客観的に見つめなおしている。昔から言葉にしようとするとモヤモヤ渦巻いていた考えが濃縮して形を成してくる感覚があった。せっかくモヤモヤが形になったので、直したいところや伸ばしたいところを心がけている。

 

  今の職場はお互いに挨拶ができる。それまでの職場はそうでも無かったので初めの頃は小さな声でしか挨拶できなかった。今ではノリがいいと分かっている人が遠くにいて声が届かなくてもこっちに気が付いたと思えば声が手を振るようになった。

 この半年くらいで就任した掃除の担当さんは前任者より行き届いた掃除で気持ちよく使わせてくれるので、長く務めてもらいたいと思いながら、にこやかな挨拶から始め「いつも綺麗にしていただいて有難うございます」と感謝の言葉を分かりやすく伝えたり、外トイレなので暑かったり寒かったり雨が強かったりする際の苦労を汲み取るように声をかけ、お土産を自部署に配ったりする時にお掃除担当さんの分も大袋から取り分けて渡したりしていた。先方も退社時に外作業をしている私を見つけると手を振ってくれるようになり、先日はプリザーブドフラワーをアレンジしてプレゼントしてくれた。お互いに十分味方として意識されたと思う(私をイメージしてみたとおっしゃっていたのでアイコンにしようと思う。)お互いに十分味方として意識されたと思う。

 

 収入を得るための仕事だとしてもやった甲斐が有ると実感できると嬉しいものである。逆に、仕事と称されていても何の役に立っているのやら無駄なのではないかと思うような作業は虚しいだろう。「仕事だから当然」は本人が謙遜で使う言葉であると認識して、労を労い合う方がより良い仕事に結びつくと思う。

  因みに味方だからといって狎れ合うのは良しとしてはいない。客観的に間違いを確認しあい高め会える関係を望んでいる。

 

 世界が平和でないと周囲の平和が脅かされて、周囲が平和でないと私の中の幸せが脅かされるので、皆で幸せになれないかとこのところ私の環境が好転してきた心がけとそれを表す行動をご紹介してきた。因みに行動は他の人の行動の中で私が良いなと思った行動のまねっこで、手本となった人たちはそこまで深く考えてはいなそうだ。未熟者が真似て向上する事は悪いことではない。慣例も技術も良いことを模倣して更に良くなる事を目指してきたのだから。手本に敬意を払い、感謝することが大切だと思う。