考察と主観

頭に浮かぶあれやこれやをなんとなしに書き付ける

掌の幸せ

 前回は家庭の暗い部分に光を当てた。問題に目を向けるのは思考の種の一つになる。

 

 特に不幸だったとも思っていない私の幸せとは何かについて考えてみた。

 

  母はいっぱいいっぱい成りにも私の幸せを願い、私が口走る希望を実現出来るかどうか時間をかけて検討してくれた。実現出来ないと伝えられても、真剣に考えてくれていると分かれば不貞腐れる事も無かった。

 

 今、私が幸せだと言いきれるのは夫の貢献がとても大きい。

 

 数回の文章でも気付くには十分だと思うが、私の思考回路は理屈っぽい。大概の人は話を聞くのも面倒だろう。変わり者なので論点も大多数の人が気に止めないポイントでもある。よって友人は多くはない。かつて校舎を歩くと数メートル毎に声を掛けられる友人に憧れ、真似をして一人ひとりとの誕生日等の情報を整理して記憶し会話から近況を記憶し共通の話題になりそうな情報を仕入れて対応しようとしたが直ぐに疲れて諦めてしまった。適性がなかった様だ。

 今やとことん意見交換に付き合ってくれるのは夫位なものだ。日本の文化で育ったから同じはずとか女ってこんな奴とか一般論を参考程度にとどめて、私とはどんな生き物か、どんな時に嫌がるが喜ぶか、物凄いデータを脳内に蓄積して休日の過ごし方を提案してくれたり、適宜に放っておいてくれる。夫は夫で自分が楽しむことに手は抜かないで私に迷惑を掛けないよう気を配りながら思いっきり楽しんできてくれるので機嫌が悪い時がほとんどない。私が夫の遊びに参加する場合のサポートも万全だ。お陰で、興味は有ったものの実現する事は無いかと思われた二輪の免許が取れてしまった。これは本当にほんの一部で「旦那のお陰で、のびのびと暮らせてる。どうもありがとう」と言ったら「拾った捨て猫にお礼を言われたみたい」と笑われてしまった。父から貰えなかった愛情を補ってもらっているようで、この文体からは想像がつかないだろうほどに夫に甘えさせてもらっている。私の欠けた部分を十分に補填してくれた。これを幸せと言えなければ永遠に幸せは来ないだろう。

 

食べる物にも困った時代、欲しい物が沢山有った。持っている人が羨ましかった。「豊かになれば幸せになれるはず。もっと働いてあれもこれも手に入れて…」頑張っただけ収入になった。仕事に従事する時間が長ければ周囲も頑張っていると評価してくれた。社畜を生み出す礎はこの幸せへの梯子段の様なものだと考えている。梯子段を駆け上がり次のステージに到達した成功体験によりこの梯子の信頼度が強固なものになってしまい転落者が目立つようになっても手放せない。

 

 私たちは視覚に頼るところが大きいが、家計のやりくりに頭を悩ませても多くを望まなければ衣食住がどうにかなる私が本当に幸せを感じるのは目に見えない他者との好意を含んだ心の触れ合いらしい。