考察と主観

頭に浮かぶあれやこれやをなんとなしに書き付ける

仕事をしているときでも感情は消えない

 夏休みのツアーの中に組み込まれていたアジアの海鮮鍋のレストラン。私たちのテーブルについた給仕の現地人女性は仏頂面だった。女性二人で4・5人分は入りそうな鍋を使い、だからといいて鍋がスカスカなわけでもない。大して減らすことも出来ずにお腹がいっぱいになってしまった。給仕の女性がお代わりをよそおうとするところを制すると彼女の顔に不満の色が広がった。無言で具材を引き上げ鍋の中のスープでおじやを作る。アジアのリゾート地は現地人に裕福な人はそう多くはないだろう。自分たちには食べられない観光客用の高級食材が無情に捨てられていくのが腹立たしいのも頷ける。現地の言葉は殆どわからないがガイドブックに有った「美味しい」を恐る恐る言ってみた。彼女の表情が変わった。

 退店時、数人のスタッフがお見送りをしてくれた。この中にテーブルを担当してくれたスタッフもいた、丁寧に手を合わせる彼女の表情に感謝を感じた。

 

 

 まだセルフが出たばかりで、ガソリンの匂いが苦手な私が、フルサービスの店を選んでいた頃のガソリンスタンド。その夜は霙だった。自分の車で遠出をしない私の給油ペースは1月に一回位。車なんぞは走ればいいと思っていたから、自分で洗車もせず給油時に窓を拭かないとまた一か月更に汚れをためてしまうがこの天候で濡れた雑巾を持つのは辛いからササっと形だけで終わらせてしまっても仕方がないなと思いつつ別の日を選べない程燃料が少なくなってからスタンドに到着した。対応してくれた青年は端から端まで、時間が経ってこびり付いた汚れを確認するとそれもゴシゴシとしっかり落としてくれた。これはと思い会計時に「寒い中、丁寧に窓を拭いてくれてありがとうございました」的なお礼を伝えると、寒さで鼻を真っ赤にした青年が報われた顔をした。

 

「仕事ですから…」は本人が謙遜するのには良いが、人の仕事には報酬以外にも感謝が有って良いと思う。昨今、割に合わない仕事が増えていると思うが、昔から仕事と賃金の割に合わない国はチップを渡す習慣が有るのだから、感謝の気持ちを持って態度に表す事に何の問題が有ろうか?自分が仕事をしていない時に仕事をしている人と接する機会として多い接客業のアルバイト急募の貼紙が至る所に目に付く、便利が当たり前でなくなるのももうすぐだと感じる。