考察と主観

頭に浮かぶあれやこれやをなんとなしに書き付ける

タンスの肥やしは勿体ない

 中学の頃から母の大島紬を羨望の眼差しで見ていたが「いつか」であって関わりかたが、分からないまま随分と来てしまった。着付けを習ったのも、親元を離れてからだ。

 

 義祖母の形見に沢山の着物を貰った事で主人の理解が大きく進み、休日掃除が終わると着物を着て夕飯の支度の前迄過ごすようになった。ある程度数が手元に有ると、組合せを考えるのがまた楽しく、着てみたい組合せが浮かぶと独りニマニマする変態ぶりだ。

主人の出張が続くと音声データ付きでも遠慮無く見られるので、着物関連の動画を見るのも楽しい。物凄い技術が使われていることに驚く。繭を糸にするのは小学生の授業で習い、繭を見せて貰ったときから「この細い糸をすーっと一本に取る技術は果たして当たり前か」と敬意を持っていたが、撚りったり紬いだり、織工程も染める工程も仕立ての工程も職人が絶え間ない努力で積み上げた技術が注ぎ込まれている。そして着物を着ることが主流で無くなった為にその技術が失われつつ有ることを知った。軽い気持ちで楽しく知識を増やすつもりでいただけに衝撃が大きい。既に失われた技術も有るだろう。

 

 この世界に触れる事が遅かったかと悔やまれる思いがこみ上げてきた。

 どうかどうか、お手持ちの着物を上手に活用して貰えないだろうか。

 

 着る方はは手を上げて、持っているけど着ない方は着る方に譲って、素晴らしい技術の結晶が出来るだけ長く後世に残って欲しいと切に願う。

 

 

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