考察と主観

頭に浮かぶあれやこれやをなんとなしに書き付ける

気楽に、だけど、大切に

「和服だって着るもの、お気楽に」と言いつつ。

着物には思いが込められているのも知っている。

 和裁師だった母の形見だと言う方はサイズが合わずに着られないと言いつつ、沢山の着物を持っている。そうでなくても戦後の貧しい中で嫁入りには着物を持たせたいと頑張った親の思いが形になって残っていたりする。

 東日本大震災で大津波に襲われた気仙沼ではまだ瓦礫が片付かないうちから泥だらけになった着物を「自分が生きている内は捨てられないから、持っていられる様にきれいにして欲しい」と何十件も持ち込まれたそうだ。

 

 今年成人式を迎えたお嬢さんにかかった費用を聞いて別の母子家庭お母さんが二年後に控えた成人式を憂いている。子供に不憫な思いをさせたくないのは分かるのでちゃんと扱ってもらえるなら私の振袖を貸しても良いと思うのだが、このちゃんと扱ってくれるかはとても大きい。かなり筋を通すお母さんなのでお母さんの心持としては大丈夫に思うが、おそらく畳み方など知らなそうだ。そして実際に着るのは遅刻やら昇級が心配だった娘さんだ。更に私の振袖はメディアに多く乗るような華やかなものではなく瑠璃色の色無地だ。「期待していたのと違う」と雑に扱われたらと不安になる。

 

 実際、母は「貸してほしい」と言われて断ったことが有るそうだ。

振袖は若いうちの特権の様に思うので、着たいなら着て欲しい。丸く収まることを祈る。